天国のパパへ

明日は、父の日です。

昨年の8月19日に大好きな父が、天国へ行ってしまいました。

この一年間、現実なのか、あれは夢だったのかと思いつつ、
自分を励まして走ってきました。
急に涙が溢れてくる時もありました。

今日は、誰にも、話した事にない私の気持ちを書きたいと思います。
ちょっと、区切りになるといいな。


父は、ずっと、糖尿病、心臓病と戦ってきました。
亡くなる1年半前には、ペースメーカーを入れて、
体調良くなったと言っていました。
帰国した際には、一緒に温泉行ったり、長距離ドライブもしました。

カナダには、何も美味しい物は無いだろうと心配し、
もう、食べられないのにもっと、食べて行けよと
いろんな所に連れて行ってくれました。
何でも買ってくれました。

娘(ミミ)の事を誰よりも可愛がってくれて、電話でも声を2オクターブぐらいも高くし(おネエのような)喋っていました。
可愛くて仕方ないらしく、娘のほしがる物も何でも買ってくれる
シュガーダディーのような感じ?だったのです。

日本から帰って来ると娘は、超わがままになってしまうので、
主人にしかられていました。
*でも、カナダでは厳しい両親がおりますので、
我がまま無理。*

娘が生まれてから、毎週末に電話攻撃でした。
小さい頃、「おじいちゃん、みーちゃんに会いたいがね。(名古屋弁)」と言った時、娘は、「お金?」と聞き間違いました。
大笑いしました。

ずっと、調子よくきていた父ですが、昨年6月頃から、
電話に回数が減り、変だなと思っていました。
声にもちょっと元気がなく、電話時間が短くなってきました。
きっと、体が辛かったのでしょうね。

7月26日の父のお誕生日に「おめでとう」の電話を入れました。
やっぱり、声に全く元気がなく、変な感じ。
でも、まさかと思いますよね、こういう場合。

結局、それが、きちんとした最後の会話となりました。
電話して良かったと思いました。

母は、私が心配すると思って、知らせなかったらしいのです。
後で、文句を言いましたが。

その夏は日本に行く予定をしていませんでした。
が、8月2日に緊急入院したと母から連絡があり、来れないかって。
私は、仕事があるから考えると返答。

日に日に、父は悪くなり、癌も見つかり、余命4ヶ月と宣言されました。でも、癌は克服できる、4ヶ月あると簡単に思っていました。

また、母から、だめかもという知らせ。
もう、仕事なんてなくなってもいい、即、行こうと決心しました。

夏の時期にて、予約が困難だったのですが、8月24日にやっと、娘と二人分取れました。
仕事中も父の事を考えていましたが、まだ、いいだろうという余裕が
ありました。

しかし、不思議なものですね、何かの知らせでしょうか、
急遽、やっぱり、もう少し、早く行こうと何かが私を押したのです。
何だか意思ではないような。
仕事なんかとうでもいいという気持ちに。

高いキャンセル料支払い、特別シートを購入しました。
お金なんて、いつでも稼げる、今、行かないと、、、と。

8月16日に入国。即、病院へ。
太って体格の良かった父が、小さくなって意識あるのかないのか。

「来たよ」と言ったら、分ったようでした。
娘が大泣きしてしまったら、「泣くなよ」と力なく言いました。
写真を見せたりしましたが、目が見えていなかったかもしれません。
一生懸命に見ていましたが。
父の手をいっぱい触りました。

2日目も一日中、父と一緒にしました。
母は疲れたと自宅へ帰りました。
昼食を食べさせて、寝たり起きたりの父へ一方的に話しかけていました。
こんなに父と一緒に居た事ってないなと思いながら。

翌日、医師から呼び出され、腎臓も機能していません。
これ以上、水分を与えると肺に水がたまるので、
今日から、点滴をやめ、食べ物、飲み物も取れません。
意識がなくなり、そのまま、亡くなるでしょうと言われました。

すでに心臓も弱いので、手術もできない状態だったのです。

父は、意識ない状態でありながら、指を口にもっていき、
「のどが渇いた」とサインを送ってきました。
かわいそうだけれど、今、水あげたら、即、だめだと。
とても、苦しかったです。
どうしようもできなくて。

濡れたティッシュで口のまわりをちょっとふいてあげると
穏やかな表情になり、また、眠りました。
それの繰り返し。

18日の夜、担当医が「今夜、どなたかお泊りになりますか」と言われました。とっさに「私、泊まります」と返答。
心電図を見ながら、うとうとしてしまい、気がついたら
夜中の12時半ごろ、「大丈夫かな」と顔をのぞいてみると
ぐうぐう寝ています。

その時、心電図の数値に変化が、即、看護婦さんが入ってきた瞬間、
父は、両手をちょっと上げて、そのまま、息を引き取りました。
私は、鬼の心を持っているようですが、その瞬間、「良かったのかな」と思ってしまいました。

急に目が覚めたのが、不思議な事です。
父は一人で旅立ちませんでした。
私が一緒にいました。

飲まず、食わずにこれ以上、生きられる事ができません。
長患いなく、きれいな顔でした。
これを自分にずっと、言い聞かせています。
自分を責めないように。

TVドラマのように「死なないでー」と泣き叫ぶ事もなく、冷静に
即、家族に電話する事もできました。

なくなったのが、午前1時で、19日になっていました。
お通夜、お葬式ときちん済ませる事ができ、フライトを変更していて
良かったと今でも思っています。

初めの予定では、全く間に合いませんでいた。
一生、後悔していたと思います。

この一年、とっても辛く、今も辛く、一生辛く、悲しいと思います。

今年の父の日には、最愛の父はいませんが、私には父がいます。
とっても優しい、大好きな父が。

天国のパパへ、ありがとうと大声で言います。
聞こえますように。


長々と聞いてくださった皆さんへもお礼申し上げます。

たまに、コメントにも父の死について辛さをちょっとだけ、
お話した事があり、励まして頂きました。
感謝しています。
ご自身のご体験も聞かせて下さったり。

ずっと、この話を自分でも書きとめておきたいと思っていました。
トドままの心の日記として。

ちょっと、前に進む事ができたような気がします。